平泉に東北初の世界文化遺産を見に行こう! 観光ポイントはココ!

Chuson-ji中尊寺(新覆堂)
Photo by kanegen – Chuson-ji中尊寺(新覆堂)

平泉が世界遺産リストに記載されることが決定されたのは、2011年6月のことでした。当時の東北地方は、東日本大震災の直後であり、この決定は東北の人々にとって大きな喜びとなりました。

正式な名称は「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」であり、文化遺産として登録されました。その名の通り平泉の世界遺産は、仏教の中でも特に浄土思想の考え方に基づいて造られた多様な寺院や庭園、遺跡が良好な状態で保存されています。

そんな仏教の理想郷を、何を目的に、どこを、どんな交通手段で、どんなルートで旅をしたらいいか悩んでいませんか?

距離感がわからないと、悩んでしまいますよね。

「そこで、歴史好きで東北地方の観光情報にも詳しいわたしが、みなさんを平泉の誕生の歴史と、その巡り方についてご案内します。」

歴史を知った上で歩くと、寺院や庭園の誕生の意味がわかって、楽しく鑑賞ができますよ。

平泉の世界遺産の歴史~なぜ東北の片田舎に極楽浄土が作られたのか?~

Hiraizumi
Photo by Herry Lawford – Hiraizumi

はじめに、なぜこんな都から離れた片田舎に極楽浄土が作られたかを、歴史から振り返りましょう。

きっかけは、1051年まで遡ります。

当時、日本では京都の都で公家が政治を行っており、その影響力は完全に現在の日本全国にまでは及んでいませんでした。東北地方の大部分は、土着の有力豪族が各地を治めていたのです。京都の朝廷は、徐々に支配する地域を拡大していきましたが、1051年に朝廷に対して反発する「土着の安倍氏」との間に戦いが始まりました。

「自分が支配している土地なのに、その上から「俺様が今度から支配するから金をよこせ」って言ってきたら、誰でも反発したくなりますよね。」

この戦いは12年も続きましたが、「朝廷」と「朝廷からの依頼で参戦した豪族の清原氏」が勝利しました。朝廷から来た軍隊と戦争していたら、急に隣の領地の清原君が攻めてきて、安倍さんが負けちゃった、という具合です。

しかし、その後清原氏の跡継ぎ選びで内紛が再び大きな戦いとなり、最終的には前の戦いで敗れた安倍氏の遺児である「清衡(きよひら)」が勝利しました。

なんで安倍さん家の息子が清原君の跡継ぎ争いに参戦したかというと、安倍さんの奥さんが美人だったので、清原君が惚れてしまい子供も一緒に連れて帰っちゃったのです。連れ帰った奥さんと結婚し、連れ子の息子も跡継ぎ候補だったというわけです。

この人物が、平泉に極楽浄土を作ろうとした奥州藤原氏の初代となります。藤原清衡は、こんな長い期間を凄惨な戦争の中で過ごしたことや古い律令制度からの変化を感じたことにより、武力による制圧をやめて普遍的な仏教を利用して平和に治めようとしました。

平泉の極楽浄土化のはじまりです。

まず、自分の勢力下であった、南は白河関(現福島県)から北は津軽外ケ浜(現青森県)に至るまで「奥の大道」を整備し、その一町(106m)ごとに真ん中に金色の阿弥陀如来を描いた傘卒塔婆を建てました。こうすると、往還の旅人は弥陀の姿に導かれて中尊寺に辿り着いた気分になります。彼は、このようにして東北全体に浄土思想を広めようとしていました。

その後、藤原氏は三代にわたり世界遺産を構成する寺院や庭園をはじめ、多くの仏教資産を作り、東北に仏教の教えを広めていました。

しかし、時代は京都の公家の朝廷から、鎌倉の武士の幕府による政治に変化しました。

中央から離れた土地に大きな力を持つ勢力が存在することは、中央政権側から見ると脅威でしかありません。絶大な力を持っていた三代目の藤原秀衡が亡くなると、それを期に鎌倉幕府は若い四代目である藤原泰衡に圧力をかけ、将軍源頼朝の弟である源義経をこの土地で自害させて首を差し出させました。これは、力も人気もあった弟の存在が邪魔になったお兄さんが、弟を抹殺するための工作でしたが、それにまんまと引っ掛かってしまったのです。

その後、鎌倉幕府の軍勢は平泉を攻め、1189年に藤原氏は滅亡しました。

平泉の世界遺産って、ぶっちゃけ何がすごいの?~平泉の魅力はコレ!~

平泉の世界遺産の構成資産は、「中尊寺」「毛越寺」「観自在王院跡」「無量光院跡」「金鶏山」の5つです。

当時、東北では金がたくさん産出され、豊かな土地でした。この金を利用して、政府とは関係なく独自に他国と貿易を行い、金銭的にも潤っていました。その豊かさで、わずか三代100年余りの期間に、これらの素晴らしい寺院や庭園等を作ったのです。

日本で古い寺院と言えば、京都や奈良に集中しています。しかし、東北の田舎であるココ平泉には、京都や奈良に匹敵するほどの仏教文化が具現化し、更に越えようともしていました。わずかな期間で、浄土思想に基づく理想世界を創り出そうとして具現化したことが、平泉の素晴らしさなのです。

また、平泉を後に訪れた人々が、文学として記録に残しています。特に、平泉が攻め滅ぼされてから500年程過ぎた1689年、松尾芭蕉が訪れました。その時の様子は「おくの細道」として編纂し、1702年に出版されました。その文学を通して、平泉の栄華と寂しさを感じることができるのです。

平泉の観光にはずせないのが中尊寺!~中でもこの3つは必見!~

中尊寺は山号を関山と呼び、天台宗の一山寺院です。

850年に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられますが、その後藤原清衡によって本格的に造営されました。

Hiraizumi-Temples
Photo by Yoshihide Urushihara – Hiraizumi-Temples

まずはじめに圧倒されるのは、月見坂と言われる参道です。

その坂を登り始めると、両脇に江戸時代に伊達藩により植樹されたという樹齢300年を超える老杉が現れます。

杉並木と山の空気による荘厳な雰囲気は、参道に相応しい趣です。

月見坂を登って行くと、右手に本堂の山門が現れます。山門をくぐり、本堂に向かいましょう。

本堂

本尊の釈迦如来坐像は、丈六仏という一丈六尺の大きな仏様です。

以前の本尊は阿弥陀如来(他所から移されてきた像)でしたが、藤原清衡が丈六の釈迦如来を安置したことにならい、2013年に釈迦如来に戻されました。

その本尊の両脇に立っているのが「不滅の法灯」です。

本山である延暦寺より分燈され、平泉の地に来てから約60年一度も消えることなく灯り続けています。

参道を更に奥へ進むと、左側に金色堂(覆堂)が見えてきます。

金色堂(覆堂)

この建物の中に、眩い金色堂があります。

金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年、藤原清衡によって建立されました。

中尊寺の数ある堂塔の中でも特に意匠が凝らされ、極楽浄土を具体的に表現しようとした清衡の願いにより、往時の工芸技術が集約されました。

内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、南洋の海からシルクロードを経由してもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工であり、更に象牙や宝石によって飾られています。

「もう、どこまで金色にしたら気が済むんだろうってくらい、金箔が貼られていますよ。」

金色堂の須弥壇の中には、藤原氏初代清衡、二代基衡、三代秀衡の遺体と四代泰衡の首級が納められています。

拝観時間

3月1日から11月3日まで 8:30~17:00
11月4日から2月末日まで  8:30~16:30

拝観料金

800

問合せ先

TEL. 0191-46-2211

中尊寺の動画はこちらです。

毛越寺は浄土式庭園の見本 ~鑑賞だけでなく体験できるのもgood!~

毛越寺の起源には伝説があります。

850年に慈覚大師が東北巡遊した際に、この地にさしかかった時に一面の霧に覆われ、一歩も前に進めなくなってしまいました。

ふと足元を見ると、地面に白鹿の毛が落ちています。大師が不思議に思ってその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっていました。

大師が近づくと白鹿は姿は消えてしまい、かわりに一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にするよう告げました。

大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じて一宇の堂を建立し、それが毛越寺の礎となったのです。

毛越寺は慈覚大師円仁が開山した後に、藤原氏二代基衡、三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営されました。

奥州藤原氏滅亡後に相次いだ火災により、当時の建物は残っていませんが、遺跡が良好に保存されていることから往時のとおり復元されています。

毛越寺

また、毛越寺では、鑑賞だけでなく座禅や写経の体験ができます。

座禅は、心を落ち着かせて集中力を高める効果が期待できます。静寂なお寺の中で60分間、自我以外の存在を全神経、全感覚で感じ取ってみましょう。

写経とは経典を書き写すことによって仏の功徳が得られるという修行の一種です。日本では古くから多くの人々に親しまれてきましたが、現代ではなかなか筆を持って半紙に向かうこともありません。般若心経を心をこめて写経することによって、自分の迷いや汚れを拭い落とし清浄な心を養うきっかけになるといいですね。所要時間は90分です。

これらの体験は、どちらも大人1名1,000円です。必ず申し込みが必要ですので、ご注意くださいね。

また、行事も毎月のようにあります。その中でも特に「曲水の宴」は、庭園の遣水に盃を浮かべ、流れに合わせて和歌を詠む、平安時代の優雅な歌遊びです。参加者は平安時代の衣装をまといます。これはインスタ映え間違いなしです。(期間/5月第4日曜日)

訪問前に、一度調べてみると良いですよ。

拝観時間

3月5日から11月4日まで  8:30~17:00
11月5日から3月4日まで  8:30~16:30

拝観料金

500

問合せ先

TEL.0191-46-2331
(座禅や写経の体験申込みもこちら)

遺跡をめぐり、平泉の世界観を体感! ~まちづくりの基本となった金鶏山を眺めながら観自在王院と無量光院へ~

毛越寺東隣にある観自在王院は、藤原氏二代基衡の妻によって建立されたと伝えられている寺院跡です。

ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構は、平安時代に書かれた日本最古の庭園書『作庭記』の作法に忠実に作られたと考えられています。

池(跡地)の北岸には、大阿弥陀堂と小阿弥陀堂が建っており、その内壁には石清水八幡宮、賀茂の祭、鞍馬の様子、宇治平等院などの京都の霊地名所が描かれていたそうです。

平泉に住む人々にとって、遠い京都観光なんてかなわぬ夢でした。

おそらく、その絵を見ながら京都に行ったつもり、あるいは行ったことにしたのでしょう。

例えるならば、後に日本各地に作られた人工の「富士山」(「富士塚」)に登ってご利益が得られる「富士信仰」にも近いかもしれませんね。

Hiraizumi-Temples
Photo by Yoshihide Urushihara – Hiraizumi-Temples

藤原氏三代秀衡が建立した無量光院は、宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院跡です。しかも、それよりもひと回り大きく造られました。

現在は、建物は焼失し、礎石が残っているだけです。

建物の中心線は西にある金鶏山と結ばれており、その稜線上に沈む夕日に極楽浄土をイメージして作られたと考えられています。

4月中旬と8月末頃は、無量光院跡から金鶏山の頂上に夕日が沈む光景が見られるそうですよ。

平泉へのアクセスと、世界遺産を観光するためのエリア内アクセス

まず、平泉を観光するには、鉄道であればJR東北本線の「平泉」を目指しましょう。

自動車の場合には、東北自動車道の「平泉前沢I.C」を目指してください。

飛行機の場合には、一度「花巻空港」あるいは「仙台空港」を目指すのが良いでしょう。

自動車

平泉前沢I.Cまでの所要時間は、次のとおりです。

  •  [東北自動車道] 浦和I.C から  約5時間(444.5km)
  •  [東北自動車道] 仙台宮城I.C から 約1時間10分(99.4km)

平泉前沢I.Cから平泉市街地までは、約10分です。

鉄道

東京などから行く場合には、東北新幹線を使いましょう。「一ノ関駅」で下車し、JR東北本線の「平泉」で下車します。

一ノ関までの所要時間は次のとおりです。

  •     東京から一ノ関まで  2時間10分
  •     仙台から一ノ関まで  32分
  •     盛岡から一ノ関まで  43分
  •     新花巻から一ノ関まで 30分
  •     新青森から一ノ関まで 1時間42分

一ノ関から平泉までは、乗ってしまえば8分ですが、列車は1時間に1、2本しかありません。同様にバスもありますが、所要時間が20分で、こちらも1時間に1、2本です。(「イオン前沢」「中尊寺」行きのいずれか。)

どちらも、便数が少ないので、しっかり時刻表を調べてくださいね。

飛行機

花巻空港からは、レンタカーまたは鉄道を利用します。鉄道の場合には、東北新幹線で「新花巻」から「一ノ関」まで乗車します。新花巻駅までは、タクシーをご利用ください。

仙台空港からは、バス、レンタカー、鉄道の利用が可能です。鉄道の場合には、「仙台空港アクセス線」を利用すると、仙台駅まで比較的容易に移動できます。仙台空港からのバスは1日に3本あり、ガイド付きで大人2,500円です。所要時間は約2時間40分。

バス

東京から一ノ関あるいは平泉まで、深夜高速バスがあります。移動時間を節約したい場合や交通費を安くするためには、とても有効な手段です。価格はキャンペーン価格で3,000円から、通常価格で9,500円程度です。

また、仙台駅からは1日に3往復の高速バスがあります。片道1,700円、往復3,000円で、所要時間は約1時間50分です。仙台からであれば、鉄道を乗り継ぐよりも便利な交通手段です。

平泉エリア内のアクセス

各施設間は、徒歩で回るにはちょっと辛い距離かもしれません。

「わたしは、荷物を駅のコインロッカーに預けても途中でくたびれてしまいました。」

わたしのオススメは、町内巡回バス「るんるん」とレンタサイクルの利用です。

町内巡回バス「るんるん」は、15分~30分ごとに駅と各施設を循環しています。1回150円、1日フリー乗車券は400円です。

レンタサイクルは、3時間借りて500円、1日借りても1,000円です。お天気が良ければ、レンタサイクルが楽しいかもしれませんよ。

まとめ

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Photo by Nobuyuki Kondo – HDR_1

ここまで歴史や寺院の由来、アクセス方法など、説明が多岐にわたりゴチャゴチャしてきましたね。

最後にきちんと整理します。

  • 平泉は、時代の狭間にできた、仏教の中でも特に浄土思想に基づいて作られた理想世界。
  • 平泉の世界遺産の構成資産は、「中尊寺」「毛越寺」「観自在王院跡」「無量光院跡」「金鶏山」の5つ。
  • 中尊寺に行くなら、月見坂、本堂、金色堂の3つは外さないで!
  • 毛越寺では、庭園を見るだけではなく、座禅などにもトライしよう! 
  • 平泉までのアクセスは、鉄道ならダイヤをしっかり調べてみて!エリア内の移動は、レンタサイクルか巡回バスがオススメ。 

 

「ところで、初めて平泉に行くみなさんは「観光するのにどれくらい時間が必要なのかな?」って、思っていませんか?」

平泉を観光するには、興味の方向性にもよりますが、エリア内を3時間から8時間で回るのが目安になると思います。

わたしのオススメ観光ルートは次の3つです。

1日かけてじっくり楽しむコース

平泉駅→平泉文化遺産センター→中尊寺→毛越寺→観自在王院跡→達谷窟毘沙門堂→平泉

達谷窟毘沙門堂は、坂上田村麻呂が征夷の記念に毘沙門天を祀った岩窟だそうです。こちらは世界遺産ではありませんが、見応え十分ですよ。

観自在王院から達谷窟毘沙門堂までは6kmほどあるので、レンタサイクルで行く時には覚悟して行きましょう。

平泉文化遺産センターは、各施設で発掘された資料や歴史が展示されています。

時間があったら、予習をしてから各地に向かうのがオススメです。

つまみ食いコース

平泉駅→中尊寺→毛越寺→平泉

世界遺産の中でも見どころの多い中尊寺と毛越寺だけをチョイスします。

自動車で回れば時間のロスも無く、3時間程度で回れるのではないかと思いますよ。

松尾芭蕉の足跡を辿る

平泉駅→高館義経堂→中尊寺→毛越寺→平泉

奥の細道で書かれているとおりに、芭蕉が歩んだ所を回ります。

『まづ高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河なり』とあるように、高館義経堂に行き、その景色をついでに楽しみ『夏草や 兵どもが 夢の跡』の句を感じてください。

中尊寺金色堂では『五月雨の 降り残してや 光堂』の世界観を感じてみましょう。そのついでと言っては失礼ですが、毛越寺にも足を延ばしましょう。

「わたしは達谷窟毘沙門堂を久しく見に行っていないので、行ってみたくなりました。

一足先に行って、平泉でみなさんをお待ちしていますね。」

平泉を訪れたら、こんな時間が過ごせるかも・・・のイメージ動画です。