日本近代化の始まりの場所!名勝 仙厳園を最低限でとことん楽しむための見どころ8つ

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現在NHK大河ドラマ「西郷どん」でホットな鹿児島ですが、もう一つ有名な鹿児島のドラマといえば「篤姫」。その「篤姫」「西郷どん」のロケ地となったのが、今回紹介する「仙厳園」です。

仙厳園は日本の近代化に大きく関係のある場所であり、今回は仙厳園およびその周辺が楽しくなるような見どころ8つを紹介します。

そもそも「仙厳園」とは?ただのお庭ではないんです!

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仙厳園は1658年に島津家19代当主・島津光久により造園されました。家老の旧宅を御用地として仮屋をつくったのが始まりだといわれています。名前は中国の景勝地である龍虎山仙厳に似ていることからつけられました。その後、島津家当主により次々と改築され、今日に至ります。

仙厳園は庭園の外にある森林や山を庭園内の風景として取り込む「借景技法」を用いて造園されており、桜島を山、錦江湾を池に見立てた素晴らしい景色を楽しむことができます。そのため、1958年に国の名勝に指定されました。

名勝とは芸術上もしくは鑑賞上の価値が高いものが指定されるものであり、仙厳園の景色が美しいことを証明しています。

また、景色だけでなく、敷地内にあるいくつかの資産が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に登録されています。

植民地化を防げ!斉彬の集成館事業

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仙厳園に入りすぐ目に入るのは、美しい庭園に不似合いな「鉄製150ポンド砲」と石組みの「反射炉跡」です。

反射炉とは、大砲の製造のために鉄を溶かす炉のことです。

これは、幕末に第28代当主となった島津斉彬が、富国強兵のため敷地の一部を使用してヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業に使われました。

当時、ヨーロッパ諸国によるアジアの植民地化が進んでおり、このままでは日本も植民地化されると考えた斉彬は様式造船、反射炉・溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガス・ガラスの製造事業、いわゆる集成館事業と呼ばれる近代化事業を行いました。

このポンド砲と反射炉跡は、斉彬が行った事業が日本の近代化に大きく貢献した証なのです。

「篤姫」にも登場した薩摩屋敷のシンボル

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受付から少し離れたところに、国道10号線に面して正門があります。大河ドラマ「篤姫」でも江戸の薩摩藩邸としてよく出てきた門なので、ドラマを見ていた方は見覚えがあるのではないでしょうか。

29代当主島津忠義が明治に建てさせたという門の上部には、島津家の家紋と桐紋が彫られています。少し離れたところにある朱色の門は、江戸時代の正門であった錫門です。屋根が瓦ではなく錫で葺かれており、その重さは約1トンもあるのだそう。

当時は薩摩藩の当主とその跡取りしか通れなかったそうですが、もちろん現在は誰でも通ることができます。

気分は殿様お姫様?絶景が見える御殿

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明治時代、薩摩藩最後の藩主となった島津忠義が、鹿児島城(鶴丸城)の焼失後に移ったのが仙厳園にある御殿です。

300円で内部も見学することができます。御殿にある当主の部屋は屋久杉が使われています。

当時、薩摩藩は琉球を通じて、中国と交流がありました。そのため、仙厳園では随所に中国の影響を見ることができます。例えば、鴨居の釘を隠すのにこうもりを使う、といったことです。(中国でこうもりは縁起がよいため。)

また、島津家のお姫様が嫁入り道具として準備したという箪笥を当時の姿で見ることができます。もちろん手を触れることはできませんが、部屋の出入りは自由ですし、部屋の中で座ることも可能です。

「この御殿から見える桜島は絶景なので、お殿様気分を味わいたい方は是非どうぞ!」

建築物やインテリアが好きな方は欄干など細かい部分にも注目して見てみてください。歴史好きの方は、中にいるスタッフさんとお話で盛り上がるのもよいですね。

春に行けば雅なお祭りが見られるかも?曲水の庭

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江戸時代に各藩の大名が競うようにそれぞれの土地に庭園を造りました。それらの庭園を大名庭園と呼びます。

薩摩藩の大名庭園である仙厳園でも、近代化のための事業だけでなく、遊興が行われることがありました。「曲水の庭」はまさに、曲水の宴を催すための庭です。

「曲水の宴」とは、古代中国の禊(みそぎ)に起源をもつ、川の流れに盃を浮かべ、雅な服装で詩歌を披露する宮中行事です。日本では奈良時代以降盛んにおこなわれ、今でも春には庭園や神社で行われています。

仙厳園の曲水の庭は、火山灰や土に埋もれていたため、江戸時代の形のままのものが1959年に発見されました。

また、曲水の宴には竹はなくてはならないものとされたため、庭の後方に江南竹林が植えられています。第21代当主の吉貴が琉球を通じて2株植えたのが始まりだといわれており、現在日本人が食べている筍の種類はこの江南竹(別名:孟宋竹)だとされています。

猫好き専用のパワースポット?猫神

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仙厳園の敷地には神社がいくつか点在していますが、その中の一つが「猫神」です。

御殿の裏にあるこぢんまりとした神社で、全国でも珍しく、猫が祀られています。全国から猫好き達が、猫たちの幸せを祈るために参拝します。

なぜ猫が祀られるようになったかというと、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際、第17代当主の義弘は朝鮮に7匹の猫を連れていき、猫の瞳孔の開き具合で時刻を推測したといわれています。

本当は猫の瞳孔の大きさは明るさによって変わるのですが、時計がない時代には猫の瞳孔は時間帯によって変わると考えられていたからです。そのような役割の猫のうち、朝鮮から生還した2匹の霊を祀っているため、時の記念日(6月10日)には時計業者が集まり、また猫長寿祈願と供養祭も同時に行われます。

近くには「猫屋」という猫グッズが売っているお店があり、仙厳園限定である猫2匹が描かれた絵馬もこちらで購入することができます。

薩摩・鹿児島のことが知りたければココ!尚古集成館

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入園料を払わず入れるのが、尚古集成館の本館と別館です。

既に説明した「集成館事業」で使われた機械工場が資料館として生まれ変わったもので、この資料館自身も世界遺産に登録された重要文化財となっています。

中には反射炉の模型や島津家の歴史、他にも薩摩藩~鹿児島の近代化に関する企画展示が行われています。また、歴史や文化に関連する講座を全6回で行っており、幕末~近代の激動の時代の鹿児島について知りたい方にとっては楽しい場となるはずです。

集成館内にあるミュージアムショップでは近くの切子工場で作られている薩摩切子や薩摩・鹿児島関連の書籍など、お土産探しができる場所となっています。

集成館の隣には磯工芸館という薩摩切子のギャラリーショップがあり、併設されている工場の見学も可能です。

参拝するだけで美人になれちゃうかも!鶴嶺神社

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鹿児島には島津家に縁のある神社仏閣が多く存在しており、隣にある鶴嶺神社も同様です。

1869年に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という仏教の弾圧運動が日本で始まりましたが、中でも鹿児島は最も激しく弾圧が行われました。そのため、鹿児島は47都道府県のうち42番目で、寺院がとても少ないのです。その廃仏毀釈の際に、島津家は自身のゆかりのお寺であった福昌寺を廃止しました。

しかし、島津家の歴代当主などの先祖や殉死者を祀る場が必要だったため、鶴嶺神社を建立しました。神社の宝物には島津忠久が着用したとされる鎧(赤糸威大鎧)や忠重が奉納したとされる太刀(銘備前国住雲次)があります。

既に述べた通り、鶴嶺神社は島津家の人たちが祀られていますが、その中に島津義弘の三女である亀寿姫という女性がいます。地元では”持明院様(じめさぁ)”と呼ばれた亀寿姫が、亀寿姫を捕らえた豊臣秀吉すらも驚くほど、非常に美しく賢い女性だったということから、この神社に参拝すると心身共に美しくなるといわれており、美を追求する女性たちのパワースポットになっています。

ここで手に入れることができる「島津美人御守」は大変人気だそうですが、私は「紅御守」という、神社で祈祷された紅(べに)が入ったお守りを持っています。紅は水に溶かして実際に口紅として使えるそうです。

「もったいなくて私はまだ使っていません…」

まとめ

仙厳園には歴史探訪、庭の風景、神社など色々な楽しみ方があります。

とても広いので、時間があるときに全てを楽しみつくすのもよいですし、自分が楽しみたいものだけを楽しむというお手軽コースを行くのも良いでしょう。

ぜひこれらの知識を参考に、自分だけの仙厳園探索コースを作っていただけたらと思います!

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