日本の歴史を見つめて空高く…小田原城

秋晴れの空に映える小田原城天守閣
Photo by 加藤学 in October 25, 2018
Writer
加藤 学

旅行大好きなアラフィフ男子。生活拠点は国際観光地として有名な神奈川県箱根町、訪れる人々から道や名所について尋ねられる事も珍しくありません。観光名所はもちろん、その地の自然や地理、歴史などの話も含めて、皆様に楽しく伝えられればと思います。

旅好き人間の私・加藤学は現在、神奈川県西部の箱根町に住んでおります。

山に囲まれた箱根町から、車に乗り東へ下ること約45分で足を運べる場所が小田原市

目の前に海が広がり気候も温暖なこの街は、昔から東海道を旅して江戸(東京)へ向かう人々と、これから険しい箱根の山を越える人々とが行き交う宿場として、豊かな農産物や海産物に恵まれた商業地として賑わってきました。

この城下町・小田原市が今も賑やかに栄えているのは、何と言っても600年近い歴史のある小田原城(おだわらじょう)の存在があるからでしょう。

私は箱根町に住んでもう20年以上になりますが、小田原市へは食事や買い物でよく足を運んでおり、箱根の山では味わえない「都会気分」を味わっています。

その小田原市のどこへ行っても目に飛び込んでくるのは小田原城の美しい姿…深い歴史と四季の自然に彩られるその姿は、まさに小田原市という街のシンボルと呼べるでしょう。

しかしその姿をいつも見ながらも、日々の忙しさでこれまでなかなかその中に入る機会に恵まれなかったのです。

…そんな日々が続いていた2018(平成30)年10月25日と11月7日、21日の3日にわたり、実に9年ぶりに小田原城へ「登城(とじょう)」し、周辺をゆっくりと歩いてきました。

さあ、いっしょに小田原城へ登り、その歴史にふれてみましょう!!

深い緑の木々が迎える小田原城

箱根町仙石原の自宅からマイカーで国道1号線を下り、順調に行けば約50分で、小田原城の南側にある有料駐車場に到着します。すぐ前には「報徳二宮神社」がありますが、のちほど参拝しましょう。

Photo by 加藤学 in April 6, 2018

Photo by 加藤学 in April 22, 2015

目の前はもう小田原城「南曲輪(みなみくるわ)」の城壁、手前には「南堀(みなみぼり)」が広がります。

初夏の頃ならば、周囲の森が鮮やかな新緑に包まれていることでしょう。

皇太子殿下の肩に降りかかった藤の花

駐車場から信号を渡るとすぐに「小田原城南入口」に着きました。

すぐ横には「御感の藤(ぎょかんのふじ)」と呼ばれる藤棚(ふじだな)があります。この藤(フジ)は江戸時代にはお城の中に植えられていたのですが、明治時代に小田原市内の「西村邸(にしむらてい)」に移されました。

大正天皇皇太子殿下だった頃のある日、小田原へお越しの時に西村邸前を通過された際、乗っておられた馬が藤棚の下に入ってしまい、そのはずみで殿下の肩に藤の花が降りかかったのです。

皇太子殿下が「見事な花に心なきことよ(見事な花を散らしてしまって申し訳ない)と、思わず「感嘆(かんたん)」されたことから、この名が付いたとされています。

その後大正時代にこの場所に移され、1957(昭和32)年には「小田原市天然記念物」に指定されました。

毎年5月には満開の花を咲かせ、小田原城に訪れる人々を喜ばせています。

お城の下に広がる広大な公園へ

さて、南入口からいよいよ「小田原城址公園(おだわらじょうしこうえん)」へ入りましょう。

南堀にかかる「御茶壷橋(おちゃつぼばし)」を渡ります。小峯橋(こみねばし)とも呼びます。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

足下のお堀にはたくさんのコイが…。
「エサちょうだ~い・・・」

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

将軍様に飲ませてさしあげたい高級茶

御茶壷橋を渡ってすぐ右の広場は、「御茶壷曲輪(おちゃつぼくるわ)」と呼ばれています。

1688年~1700年代初めにかけて、江戸城の将軍様に、京都の名物「宇治茶」を召し上がって頂こうという、「御茶壷道中(おちゃつぼどうちゅう)」と呼ばれる人たちがいました。

御茶壷道中は江戸(東京)を出発し東海道を通って、はるばる現在の京都府宇治市まで行きます。

そして持ってきた「茶壷(ちゃつぼ)」に、本場の宇治茶の葉をいっぱい詰めて再び江戸へ戻りますが、帰りは中部地方の山あいに続く「中山道(なかせんどう)」を通りました。

海に近く川が多い東海道は、お茶葉に湿気が入ってしまうおそれがあったのです。

宇治茶の名産地、京都府相楽郡和束町の風景

小田原城には、まだ空(から)の状態の茶壷を保管する「蔵(くら)」がありました。その蔵が存在していたのがこの場所で、茶壷をあずけに来た人々が渡った小峯橋は、そのために「御茶壷橋」と呼ばれているのです。

江戸から宇治までは片道約370km。まだ自動車も鉄道もなかった時代、大変な仕事を任された人たちがいたのですね。

お城のさまざまな機能を果たす場所…曲輪

御茶壷曲輪から「住吉堀(すみよしぼり)」というお堀を渡ると、高い松の木が立ち並ぶ大きな広場に入ります。

ここは「馬屋曲輪(うまやくるわ)」と呼ばれ、江戸時代、お城に来た人が馬をつないでおく「馬屋(うまや)」という建物がありました。建物は大きく、15頭近い馬をつないでおくことができたと言われています。

住吉堀をはさんで左が御茶壷曲輪、右が馬屋曲輪。向こうには銅門が見えます。
Photo by 加藤学 in November 7, 2018

「曲輪(くるわ)」とは、お城のあちこちに作られた広い場所のことです。

お城のシンボルで、ひときわ高くそびえる「天守閣(てんしゅかく)」の建つ「本丸(ほんまる)」は、まさにお城の中心的な曲輪です。

その外側には「城主(お殿様)」の住む「二の丸(にのまる)」、さらにその外側には城主の大切な家来である「家臣(かしん)」の住む「三の丸(さんのまる)」などの重要な曲輪がある他、外から攻め寄せてきた敵と戦うための場所となる曲輪も存在します。

また方角を付けて「北の丸(きたのまる)」「西の丸(にしのまる)」などと呼ぶこともあります。

小田原城が攻めにくい理由は「門」にあった

正面に見えている美しい白壁の建物に行ってみましょう。ここは「銅門(あかがねもん)」と呼ばれ、江戸時代には天守閣方面への入口となっていました。

・・・実はこの門は特徴のある構造になっています。まず橋を渡って1つ目の「埋門(うずみもん)」を通ります。すると正面は高い壁…

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

そして左側に2つ目の「渡櫓門(わたりやぐらもん)」があります。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

小田原城に攻めてきた敵が、門をくぐったら次の門まで「直角に曲がらなければならない」のです。その間にお城から攻撃が行われるというもので、敵に攻め込まれにくい「枡形門(ますがたもん)」と呼ばれています。

1872(明治5)年に解体されましたが、100年以上が経過した1980年代に、小田原城を史跡とする整備事業が始まったことから、この銅門も古い絵図などをもとに伝統的な工法で復元され、1997(平成9)年に晴れて完成しました。

この2つの門を総称した「銅門」の名の由来は、門の材料に「銅(どう)」が使用してあるためです。

開門時間はごらんのとおり。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

埋門手前、住吉橋の下に広がる住吉堀
Photo by 加藤学 in October 25, 2018

すぐ足下の「住吉堀」では、1983(昭和58)年~1992(平成4)年にかけて大がかりな発掘調査が行われ、古い絵図や江戸時代の硬貨、さらには戦国時代の井戸や水路、石垣、新たなお堀などが見つかりました。

これらの発見から、小田原城が何度か造り替えられていたことがわかったのです。

ここが小田原城への正式ルートです

ここで一度公園の外へ出てみましょう。

お城の東側には「馬出門(うまだしもん)」と呼ばれる門があり、名前のとおり、お城へ上る人はここから馬に乗って出入りしました。三の丸から二の丸そして天守閣へと向かう「大手筋(おおてすじ)」に立つ門で、江戸時代の正式な登城順路であったとされています。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in November 7, 2018

お堀にかかる橋は「馬出門土橋(うまだしもんどばし)」、別名「めがね橋」とも呼ばれています。

守りに守りを重ねた門、天守閣は遠くに…

馬出門から眺める小田原城天守閣
Photo by 加藤学 in November 7, 2018

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

この門も入ると正面はお堀、左側にある2つ目の「内冠木門(うちかぶきもん)」へ直角に曲がらなければならない「枡形門」になっています。

小田原城は本当によく守られていますね。

お城のあちこちで出会えるでしょう

再び公園の中へ戻り、ここから天守閣をめざしましょう。

途中で観光ガイドさんが観光客の方を案内している様子を見かけました。「小田原ガイド協会」に所属しているみなさんで、緑色のベストが目印です。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

小田原城内にはここ馬屋曲輪観光案内所と、南入口すぐ近くの藤棚観光案内所、小田原歴史見聞館(2018年12月現在・工事のため閉館中)に観光ガイドさんが常駐しています。

申し込みをして、さまざまなお話しを聞きながら案内頂くのもいいでしょう。

門の向こうにはまた門、そして天守閣

再び御茶壷曲輪を通って右折、そのすぐ先の右側にも広場があります。

ここは先程の「銅門」を通った所にある「銅門広場(あかがねもんひろば)」。 天守閣側から見た銅門、右側の階段を上ってみましょう。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in November 7, 2018

これから向かう天守閣と、その右手前に常盤木門が見えました。

階段を上ったこの場所には見学室があり、土・日・祝日のみ公開されます。

赤い橋でお堀を渡り、さらに登る

いよいよ天守閣が近づいてきました。目の前には赤い「常盤木橋(ときわぎばし)」がかかります。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

橋の下に広がる「本丸東堀(ほんまるひがしぼり)」を渡り、急な階段をがんばって登りましょう。

天守閣の直前に立つ最後の難関

階段を上ると右には「常盤木門(ときわぎもん)」が立ちはだかります。

江戸時代初期に建てられ、ここも枡形門である上に坂道になっているため、ここまで走ってきて疲れている敵にとってはさらなる難関となりました。

天守閣や本丸へ向かう最後の門なので、より頑丈に造られたのです。

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

明治時代に解体されましたが、後に復元工事が行われ、1971(昭和46)年3月に完成しました。

常に緑豊かな松の木に例え「小田原城が永久に栄えるように」の願いをこめた名が常盤木門です。

激動の歴史と共に歩んできた小田原城

常盤木門を抜ければ、左に小田原城天守閣が高く大きくそびえる「本丸広場」です。

「小田原城」はいつ建てられたのかは不明ですが、15世紀中頃には既に存在していたと言われています。

室町時代終わりから、各地の武将が天下をとろうと戦った戦国時代、徳川将軍が世をおさめた江戸時代、そして世の中が大きく変わった明治時代と、日本の主な歴史をそのまま見てきたお城と言えますね。

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

明治時代に変わるまでの約400年余りの間、この小田原城の城主だった人は、大森氏、北條氏、阿部氏、稲葉氏、大久保氏という一族で、同時にこの小田原の街もおさめていました。

また、江戸(東京)の西を守る主要なお城とされ、京都へ向かう途中の徳川将軍が宿泊したこともあり、「日本の100名城」に選ばれています。

明治時代にはお城としての機能を失いながらも、その歴史を語り継ごうとする小田原の人々の努力で、シンボルである「天守閣」は1960(昭和35)年に鉄筋コンクリート造で建て替えられ、長い間にわたって歴史資料館となっていました。

そして大規模な耐震工事と展示リニューアルが行われ、2016(平成28)年に新たな天守閣と歴史ミュージアムとして、晴れて再オープンを迎えたのです。

さあ、新しく生まれかわった天守閣へ!!

天守閣に向かって右下の自動販売機でチケットを購入したら、いよいよ9年ぶりの天守閣へ入ります。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

すぐ近くには「御食事処・本丸茶屋」がありますので、ここで昼食にしてもいいでしょう。

豪華にフレッシュに生まれかわった天守閣

2016(平成28)年にリニューアルオープンした小田原城天守閣。

小田原城や戦国時代の歴史を紹介した大型パネルやジオラマ模型、映像シアターの他、発掘調査で発見された古文書(こもんじょ)や甲冑(かっちゅう)、刀剣などが多数展示され、歴史好きな方にはたまらない本格的ミュージアムとなりました。

Photo by 加藤学 in November 7, 2018

【天守閣内・写真撮影についての注意事項】

1階と5階(最上階)はフラッシュなしで撮影可能、2階・3階・4階は全面撮影禁止です。

五人にわたる戦国城主、その初代から伝わる精神

小田原城の長い歴史の中で、日本の歴史上にもよく知られているのは、戦国時代の「北條氏(ほうじょうし)」でしょう。

「北條五代(ほうじょうごだい)」と呼ばれ、5人の城主が、戦国時代の小田原城で激しい人生を送り、小田原の街を本格的に作りあげ、後世に小田原の街とお城を残したのです。

初代城主・北條早雲(ほうじょうそううん)公 1432年~1519年

戦国時代初期の動乱を戦って出世し、やがて東日本へ進出して伊豆国(いずのくに・現在の静岡県東部)や相模国(さがみのくに・現在の神奈川県)をおさめました。

小田原駅西口前に立つ北條早雲公の像、勇ましい姿が印象的です。
Photo by 加藤学 in October 25, 2018

あちこちで戦乱がおこる厳しい時代に「戦国大名(せんごくだいみょう)」となって、小田原という街をつくり、小田原城の存在を確かなものにし、小田原に住む多くの民(たみ)の生活を大切にした有名な武将。

・・・その精神は、後の4人に受け継がれます。

初代の想いは、二代によって確かな「形」に

二代城主・北條氏綱(ほうじょううじつな)公 1486年~1541年

父・北條早雲公の後を継ぎ、その勢力をさらに広げて関東地方の大半をおさめました。

各地の武将が「天下をとる」ことをめざし戦いを繰り広げた戦国時代に、北条氏と小田原城の強さを世の中に大きく広めた武将です。

これは小田原城天守閣の来館記念スタンプで、北條氏綱公が使用した「虎朱印(とらしゅいん)」と呼ばれる印鑑がデザインされています。

北條氏綱公は小田原の人々との結びつきをより強くするため、自身の文書には必ずこの印鑑を押しました。「祿壽應穩(ろくじゅおうおん)」という4つの文字が刻まれています。

Photo by 加藤学 in November 24, 2018

「祿(ろく)財産「壽(じゅ)生命を意味します。

小田原に住む人々が、財産も命も豊かに、いつまでも平和に穏やかに暮らすことができるように・・・

人々を愛した初代・早雲公の想いは、確実に氏綱公に受け継がれ、その想いの刻まれた印鑑は、後の3人も使用したと言われています。

実は早雲公が、氏綱公に城主の座をゆずったと同時に、この小田原城も小田原の街も本格的に開かれたのが1518(永正15)年、今年はそれからちょうど500年になります。

その「形」は小田原の銘菓にも刻まれて…

「虎朱印」は小田原名物のお菓子にも使用されています。これは天守閣内の売店でも販売されている「最中(もなか)・虎朱印」で、パッケージはもちろん、お菓子そのものにも虎朱印がデザインされているのです。

最中・虎朱印(製造:小田原正榮堂)
Photo by 加藤学 in November 28, 2018

最中・虎朱印(製造:小田原正榮堂)
Photo by 加藤学 in November 28, 2018

香ばしさと、ほどよい甘さで、お茶菓子に最高ですよ!!

最強時代を迎えた三代の、兵士たちへの想い

三代城主・北條氏康(ほうじょううじやす)公 1515年~1571年

父・北條氏綱公が大きくした国や小田原城をさらに強くしました。

小田原城にも敵が攻めてくる中、あの有名な「上杉謙信(うえすぎけんしん)」の強力な大軍に対しても、小田原城に近づくことを許さずに追い返すなど、北條氏の最強時代を築いた武将です。

そして小田原城は「関東支配の中心拠点」となります。

Photo by 加藤学 in November 7, 2018

敵の大軍に囲まれてしまった場合、お城にこもって戦うことを「籠城戦(ろうじょうせん)」と呼びます。

北條氏康公はこの籠城戦で上杉謙信軍を追い返したと伝えられます。

この方法で戦うには、充分な食糧や水、武器などを確保しておく他、兵士たちの生活する場所、さらには周囲の建物に火を付けられないように、燃える物をお城の中に片付けるなどの大がかりな準備が必要でした。

これは兵士たちの命を守るための有効な戦法であり、籠城戦を戦いぬくための心得をまとめた重要な書物も残されています。氏康公は多くの兵士たちの命を守ったのでしょうね。

天下人と最後まで戦った四代と五代父子

四代城主・北條氏政(ほうじょううじまさ)公 1538年~1590年

父・北條氏康公がより強くした小田原城に、やがて天下統一を目前にした「豊臣秀吉(とよとみひでよし)」の大軍が攻め寄せてきます。

相模国各地の農民に呼びかけて兵士にさせ、小田原の街そのものを実に全長10km近くに及ぶ「総構(そうがまえ)」という大きなお堀で囲み、「籠城戦」も行って秀吉軍と戦った武将です。

五代城主・北條氏直(ほうじょううじなお)公 1562年~1591年

父・北條氏政公や若い兵士たちと共に、豊臣秀吉率いる約21万人の大軍と戦いました。

豊臣秀吉はついに小田原城のすぐ西側の山に、石垣で囲った巨大なお城「石垣山一夜城(いしがきやまいちやじょう)」を建て、北條氏に降伏を迫ります。小田原の人々の命を守るため、小田原城を明け渡した武将です。

天守閣最上階からの眺め、右奥は箱根の二子山、2体の鉄塔が立つ左上が石垣山一夜城址です。
Photo by 加藤学 in October 25, 2018

小田原城のすぐ西の山に造られた巨大な城、まるで監視されているような気分になりますね。

「父上・・・あの城をごらんになりましたか」
「さすがは秀吉め、やるのう・・・」

氏政公と氏直公…父と子の絶望的な声がきこえてくるようです。

豊臣秀吉も感服した、五代の人々への想い

豊臣秀吉に降伏した北條氏直公は、「自分が切腹(せっぷく…武士が自身の命を絶って責任を負う)するので、兵士や人々の命を守ってほしい」と願い出ました。

その気持ちにさすがの豊臣秀吉も心を動かされ、氏直公に切腹をさせず、遠く離れた和歌山県の高野山(こうやさん)に送って、命は助けたのです。

小田原城の西約3kmの場所にある石垣山一夜城歴史公園。巨大な城址(しろあと)が残されています。
Photo by 加藤学 in October 25, 2018

石垣山一夜城歴史公園の展望台から眺める小田原城天守閣
Photo by 加藤学 in October 25, 2018

新しく豪華になっても、語り継がれる北條氏のお城

その後も続いた戦国時代。やがて豊臣秀吉の死と共に豊臣家は滅亡へと進み、徳川家康(とくがわいえやす)が天下を支配して江戸幕府を開き、江戸時代が始まりました。

北條氏が亡くなった後の小田原城は、徳川家康に長く家来として仕えていた「大久保氏」が城主となり、260年余りに及ぶ江戸時代の大半にわたって、小田原の街をおさめたのです。

お城の西にある「八幡山古郭(はちまんやまこかく)」から眺めた夕日に輝く天守閣。実は北條氏の時代まで小田原城はこの「八幡山」にあったと言われています。夕日の方角には石垣山一夜城址があります。右には太平洋も見えています。
Photo by 加藤学 in November 21, 2018

小田原城も大規模な改築工事が行われ、徳川将軍が宿泊する「御殿(ごてん)」が造られた他、お堀や石垣なども新しく整備され、豪華に建て替えられました。

戦国時代の激動の中に、北條氏は姿を消してゆきましたが、5人の城主は平和な世の中を人々に受け継ぎました。

小田原城と共に、早雲公が国を作り、氏綱公が国を広げ、氏康公が国を強くし、氏政公が国のために戦い、氏直公が国を守ったのです。

ここで…全国のお城「天守閣の高さ」ベストテン

日本という国を紹介する時に欠かせない「城(しろ)」。現在、全国で見学できるお城(正確には城址…しろあと)は200ヶ所ほどです。

そのお城の中で、「地上から天守閣までの高さ」の全国ベストテンをご紹介しましょう。

Photo by 加藤学 in November 7, 2018

1位・・・大阪城 (大阪府大阪市) 41.5m
2位・・・名古屋城 (愛知県名古屋市) 36.1m
3位・・・島原城 (長崎県島原市) 33.0m
4位・・・熊本城 (熊本県熊本市) 32.5m
5位・・・姫路城 (兵庫県姫路市・世界文化遺産) 31.5m
6位・・・小倉城 (福岡県北九州市) 28.7m

そして
7位・・・小田原城 (神奈川県小田原市) 27.2m

8位・・・広島城 (広島県広島市) 26.6m
9位・・・福山城 (広島県福山市) 26.3m
10位・・・若松城 (福島県会津若松市) 25.1m

ちなみに小田原城は、海(0m)から天守閣までの高さが60mもあります。
(天守閣の基部である本丸広場は海抜29.7mです)

お城を見ながらゆっくり走る「汽車ポッポ」

天守閣のすぐ下には、ときどき汽笛を鳴らしてゆっくりと走る「豆汽車」の姿が見えます。

坂道を下りてすぐ向かい側にある「こども遊園地」。豆汽車に豆自動車、自動遊器具(コーヒーカップ)などの遊具があります。

お城を見上げながら汽車に乗ってみれば、ほのぼのとした家族の想い出となるでしょう。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

こども遊園地から見上げる天守閣
Photo by 加藤学 in October 25, 2018

 

歴史衣裳が着られます!! 新型ミュージアム

天守閣を左上に見ながら再び本丸広場へ戻りましょう。正面に見える常盤木門には、天守閣と同じく2016(平成28)年にオープンした「甲冑着付け体験」(1階)と、「常盤木門SAMURAI館」(2階)があります。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

鎧兜(よろいかぶと)や華やかな着物で、戦国武将やお姫様、忍者に変身できますよ!!

昔ここはお殿様の家、皇族方のお屋敷

天守閣を後に、常盤橋から坂を下ると「二の丸広場」に出ます。江戸時代に小田原城主が住んだ「二の丸御屋形(にのまるおやかた)」があり、「小田原藩(おだわらはん)」の政治を行う機関となっていました。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

二の丸広場から眺める天守閣と常盤木門
Photo by 加藤学 in November 7, 2018

明治時代には天皇陛下をはじめ皇族が訪れる「御用邸(ごようてい)」が造られましたが、1923(大正12)年の「関東大震災」で被災し廃止され、その後、平成初期までは小学校として子どもたちの声で賑わった場所です。

私、加藤「学」の名前が出てきてびっくり!!

ここから小田原城址公園の外へ出てみましょう。

目の前の「二の丸東堀(にのまるひがしぼり)」にかかる赤い橋を渡ろうとすると、・・・ん!?

Photo by 加藤学 in November 7, 2018

何と、私と同じ名前ではありませんか!!
親しみを感じますね(笑)

Photo by 加藤学 in November 7, 2018

「まなぶばし」・・・と読みたいところですが、「まなびばし」と読みます。

お城から小田原駅へとつづくストリート

小田原駅へ向かう「お堀端通り(おほりばたどおり)」には様々な商店やレストラン、カフェが建ち並びます。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

車に注意しながらゆっくり歩けば、やがて「小田原駅」に到着しました。このあたりで昼食にしましょう。

ここで…小田原城の花々や緑を鑑賞しましょう

早春の小田原城には梅(ウメ)の香りがほのかに漂います。

初夏の小田原城。高い山のように連なる大木が、緑の輝きを放ちます。

楠(クスノキ)
Photo by 加藤学 in May 9, 2018

春から夏の小田原城址公園は、花の楽園です

花だけではありません。鳥たちも集まる小田原城

小鷺(コサギ)
Photo by 加藤学 in February 16, 2017

百合鴎(ユリカモメ)
Photo by 加藤学 in February 16, 2017

 

お堀に集まるカモたち、今年も冬を過ごしに…

春の小田原城、サクラの花と集まる鳥たち

四十雀(シジュウカラ)

Photo by 加藤学 in March 14, 2018

鵯 (ヒヨドリ)

Photo by 加藤学 in March 14, 2018

小田原城にもいます!! 青い宝石「翡翠(カワセミ)」

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

Photo by 加藤学 in November 28, 2018

旅と観光の起終点…小田原駅

さて、昼食後は「小田原駅」へ少し寄ってみましょう。

名物「小田原提灯(おだわらぢょうちん)」が、小田原を訪れる多くの人々を出迎え、小田原を発つ多くの人々を見送ります。

Photo by 加藤学 in June 30, 2015

小田原駅東口から眺める小田原城
Photo by 加藤学 in October 25, 2018

「よく小田原へ来たね」、「また小田原へ来てね」・・・小田原城も言っています。

街のあちこちには歴史名所を物語る石碑が…

午後は小田原駅を後に、市街地をゆっくり歩きながら再び小田原城へ向かいましょう。

小田原城から小田原駅周辺にかけての街角には、戦国時代や江戸時代の名所・旧跡を示す石碑が、いたる所に数多く見られます。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

近年整備され説明文も刻まれてありますので、ぜひ足を止めて読んでいきましょう。

さあ、再びお城に戻ってきました

小田原城の東側から北側へ移動すると、右側には鉄道が走り、やがて「小田原城北入口」に着きます。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

歩道にはめこまれた標識。「お城に来た」ことを感じさせますね。

小田原城で見つけたよ!! いろいろな標識

北條氏の家紋が看板に・・・「家紋(かもん)」とはその家の印、シンボルマークです。

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

大名行列をデザインしたもの・・・歴史感にあふれていますね。

再び天守閣が目の前にそびえます!!

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

天守閣の右側へ回り込み、先ほど立ち寄った、豆汽車の走る「こども遊園地」の前を通って坂道を下ると、「報徳二宮神社・城址口鳥居」に着きました。

今もひっそりと残る戦国時代のお堀

鳥居から報徳二宮神社へ向かう途中には、小田原城を守る「北堀(きたぼり)」が見られます。

北條氏が造ったお堀で、石垣ではなく土で造られていることから、戦国時代に築かれたものとされています。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

深さは約5m~10mですが、周りの傾斜が急で、当時はもっと深かったと考えられており、多くの武将が小田原城をなかなか攻められなかった理由が何となくわかるような気がします。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

薄暗い森をぬけると、まもなく「報徳二宮神社」の前に出ました。

お祀りされている人は…あの超有名人

「報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)」は、1894(明治27)年に創建されました。

ここには江戸時代末期に貧困に苦しむ各地の農村を救い、その独自の思想で多くの人々が学んだ「二宮尊徳(にのみやたかのり)翁」(1787年~1856年)が祀(まつ)られており、参拝者で賑わいます。

(一般には尊徳「そんとく」と呼ばれていますが、正しくは「たかのり」です)

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

二宮尊徳翁がデザインされた絵馬
Photo by 加藤学 in November 21, 2018

ちなみに「翁(おきな)」とは、年輩の男性を敬う呼び方です。地元の人々は誰もが尊敬の想いをこめて「二宮尊徳翁(にのみやたかのりおきな)」または「二宮先生」と呼んでいます。

今の世の中に生きる私たち…人の生き方とは

ここ小田原に生まれた二宮尊徳翁は、別名を「二宮金治郎(にのみやきんじろう)」・・・はっと思われた方も多いでしょう。

小学校の校庭の片隅にぽつんと立っていた、あの石像の人です。

「人は欲を捨てて、社会に奉仕すれば、その報いは必ず自分自身にかえってくる」
「人は欲にとらわれては豊かに生きられない、欲を捨てて生きることこそ豊かに生きる道である」

・・・二宮尊徳翁の思想は「報徳の訓(ほうとくのおしえ)」として学ばれ、多くの政治家や実業家、教育者がのちの日本で活躍しました。

神社内に建つ二宮尊徳翁二体の石像。左は少年時代、右は江戸幕府に勤務していた時代。

そして学んだ多くの人々が「ぜひ尊徳先生を祀る神社を…」と思い立ち、創建された神社なのです。

子どもの頃、家が貧しくも一生懸命に働きながら勉強に励み、苦労と努力を味わい成長してきた二宮尊徳翁。

「自分のことばかり考えず世の中のために生きる、それは自分自身にとって必ずプラスになる」

・・・今、私たちがしなければならない大切な生き方ですね。

緑に囲まれたカフェで心落ち着く一時を…

緑豊かな神社の庭園には、落ち着いた雰囲気の「きんじろうカフェ」「Cafe小田原柑橘倶楽部(おだわらかんきつくらぶ)」があります。

地元で採れたオレンジやレモンを使用した和風・洋風のスイーツやドリンク、さらには二宮尊徳翁が愛した味「呉汁(ごじる)」などのメニューが。ひと休みしましょう。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

※呉汁(ごじる)・・・すりつぶした大豆や野菜の入った和風スープです。温まりますよ!!

小田原城と小田原の街めぐり、お疲れさまでした

報徳二宮神社を出発してまもなく、出発点の「小田原城南入口」に帰ってきました。

きんじろうカフェから眺める小田原城天守閣
Photo by 加藤学 in November 21, 2018

Photo by 加藤学 in November 21, 2018

お城も神社も、秋の夕日に輝いています。

小田原城は今「Odawara Castle」に

私はこの1年間に、東京浅草、富士山周辺、京都、奈良、鎌倉、箱根などの有名観光地を訪れましたが、今やどの観光地も、日本という国に深い関心をもつ海外からの人々で賑わっています。

そしてここ小田原城も例外ではありません。日本の歴史への興味と関心に国境はないのです。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

小田原城のすぐ前を走る東海道新幹線。小田原市は国際観光都市となりつつあります。

Photo by 加藤学 in October 25, 2018

2019年はラグビーワールドカップ日本開催、そしていよいよ2020年に迫ってきた東京オリンピック・パラリンピック開催

東京に近い小田原市は、どんな賑わいを見せるのでしょうか。

旅の終わりに(1) ウメ子さんの想い出

歴史と自然と国際色にあふれる小田原城。その小田原城にごく数年前まで、1頭のゾウがいたことをご存知でしょうか。

名前は「ウメ子」・・・私よりはるかに年輩なので、尊敬をこめて「ウメ子さん」と呼びましょう。

・・・ウメ子さんは1947(昭和22)年に南国タイに生まれたメスのアジアゾウで、1950(昭和25)年に当時、現在の本丸広場にあった「小田原動物園」にやって来ました。

戦後間もない混乱の時代、小田原の街に現れたゾウに、特に子どもたちの喜びは大きかったでしょう。

元気な頃のウメ子と小田原城天守閣 2008(平成20)年頃撮影
出典元:小田原市HP内「小田原市の観光」、心におみやげ・見つけて小田原『ゾウのウメ子について』より

1日60kgもエサを食べるくいしん坊、壁に突進して壊してしまったり、エサを拾おうとして転んでしまったりと、飼育員を困らせたこともあったウメ子さんでしたが、いろいろな芸を見せたり、長い鼻で人に水をかけて悪戯(いたずら)したり・・・

実に60年にわたって小田原城を訪れる人々を楽しませてくれたのです。

2009(平成21)年9月17日早朝、ウメ子さんは62歳でこの世を去りました。人間でいえば100歳以上に当たる年齢まで生きたのです。

1ヶ月後の10月17日・・・奇しくもその日は1年前に亡くなった私の母の命日。

「ウメ子のお別れ会」が行われ、実に5000人もの人々が最期のお別れに訪れました。ウメ子さんが60年の時を過ごした場所には、ウメ子さんの大きな写真が掲げられ、多くの人々がウメ子さんを天国へ見送ったのです。

お別れ会の様子
出典元:小田原市HP内「小田原市の観光」、心におみやげ・見つけて小田原『ゾウのウメ子について』より

当時、最愛の母を亡くしてようやく一年を迎えていた私。まだその悲しみも癒えない中、耳にした「ウメ子さんが亡くなった」の一報に、たまらない寂しさと、命のはかなさを感じたものです。

ウメ子さんが亡くなってからもう10年近く。ウメ子さんが60年間暮らしていた場所はもうありません。

でもこの程、小田原駅前にウメ子さんの名前をとった「おだわら市民交流センター UMECO」がオープンし、小田原市民の新たな交流の場となりました。ウメ子さんは今も人々の間で語り継がれています。

天国のウメ子さん、私たちは元気です!!

旅の終わりに(2) 箱根の山奥のお寺に…

小田原城から車で約15分。私の住む箱根町の玄関口・箱根湯本から少し入った山奥に、一つのお寺が建っています。

ここは、小田原城初代城主の北條早雲公の名をとった「早雲寺(そううんじ)」で、1521(大永元)年に二代城主の北條氏綱公によって創建されました。

北條氏によって「関東支配の中心拠点」と呼ばれるまで大きな存在となった小田原城。

しかし1590(天正18)年4月、天下統一を狙う豊臣秀吉が、大軍を率いて小田原に攻め寄せてきました。実はこの時、豊臣秀吉が陣地を置いたのがここ早雲寺なのです。

Photo by 加藤学 in November 7, 2018

さらに秀吉は北條氏に降伏を迫るため、小田原城のすぐ西に「石垣山一夜城」を建てますが、何と直後にこの早雲寺に火を付けて焼き払ってしまったのです。多くの貴重な建物や仏像が焼失しました。

そして9月、北條氏が降伏して小田原城は明け渡され、なおも世の中は大きく動いて江戸時代となります。北條氏も早雲寺も、世の中から忘れられつつありました。

しかし、北條氏は滅亡してはいませんでした。5人の城主の親戚に当たる人々が各地で生きのび、北條氏の血を絶やすことなく受け継いでいたのです。

1627(寛永4)年に早雲寺は再建され、その後、河内国(かわちのくに・現在の大阪府東部)を治めていた「北條氏治(ほうじょううじはる)公」によって、「北條五代の墓」が建てられました。

北條氏が日本の歴史に確かな功績を残していたことが証明されたのです。

早雲寺の山の中にひっそりと建つ北條五代の墓
Photo by 加藤学 in November 7, 2018

生きるか死ぬかの戦国時代、小田原城で人々と共に生きた5人の城主。

  • 国を作った、初代城主・北條早雲公 (1432年~1519年)
  • 国を広げた、二代城主・北條氏綱公 (1486年~1541年)
  • 国を強くした、三代城主・北條氏康公 (1515年~1571年)
  • 国をまとめた、四代城主・北條氏政公 (1538年~1590年)
  • 国を守った、五代城主・北條氏直公 (1562年~1591年)

賑やかな小田原城を想いながら、ここに静かに眠っています・・・。

小田原城の向こうには今日も箱根の山が…

江戸時代の小田原城は「江戸(東京)より西」を守るという重要な役割を任されましたが、特に目を光らせたのが「箱根の山」でした。

有名な「箱根関所(はこねせきしょ)」を建てて取り締まりを強化したことで、外敵が入ってくることがなく、江戸も、そして小田原も平和が保たれて現在に至っているのです。

久々に訪れた新たなる小田原城天守閣

・・・皇太子殿下の肩に散る藤の花、江戸から宇治まで高級茶を頂きに旅した人々、大きくいくつも立ちはだかる門、簡単に近寄れない天守閣、戦国時代に散っていった北條氏、私の名前が付いた橋、厳しい歴史を忘れさせる豆汽車や花や鳥たち、人々の生き方を説いた二宮尊徳翁、箱根の山々、それらを物語のように語り継ぐガイドさん・・・、1つのお城にたくさんのエピソードがあふれていました。

小田原市内から眺める天守閣と、左に箱根最高峰の神山
Photo by 加藤学 in November 21, 2018

いよいよ旅も終わりとなりましたが、最後は、いつまでも人々の心の支えとなる小田原城に、今も息づいている有名人物の言葉で締めくくりたいと思います。

・・・では、そろそろ「下城(げじょう)」しましょう。

『枯れる樹に また花の木を 植えそえて もとの都に なしてこそみめ』 北條早雲
(枯れてゆく木に、また花が咲く木を新しく植えるように、もとどおりの街にしてみせようではないか)

『譲って損なく 奪って益なし』 二宮尊徳
(人間、奪い合いでは戦いとなって何もなくなる、ゆずり合ってはじめて人間が生かされる)

小田原城とその周辺の施設・公園・寺院・機関

【今回、私が歩いたコースを紹介します】

(見学時間、休憩時間等は除く)

藤棚有料駐車場(2分)御感の藤(1分)南入口・御茶壷橋(2分)御茶壷曲輪(1分)馬屋曲輪(1分)銅門(1分)馬屋曲輪(2分)馬出門(2分)馬屋曲輪(2分)銅門広場(2分)常盤木橋(1分)常盤木門(1分)本丸広場(2分)天守閣・ミュージアム(2分)こども遊園地(2分)本丸広場(1分)常盤木門(2分)二の丸広場(2分)学橋(12分)小田原駅東口(3分)小田原駅西口・北條早雲公像(3分)小田原駅東口(5分)上幸田石碑(12分)八幡山古郭(8分)北入口(3分)こども遊園地前(1分)報徳二宮神社・城址口鳥居(2分)報徳二宮神社(1分)きんじろうカフェ(2分)南入口(2分)藤棚有料駐車場(マイカー・20分)石垣山一夜城駐車場(10分)石垣山一夜城歴史公園・本丸跡(13分)展望台(10分)石垣山一夜城駐車場(マイカー・15分)早雲寺前駐車場(1分)早雲寺(1分)北條五代の墓(1分)早雲寺(1分)早雲寺前駐車場

【難攻不落の城・小田原城天守閣】

小田原城址公園内
・アクセス 小田原駅東口から徒歩約12分で「学橋(まなびばし)」、
天守閣まで約10分。(小田原駅から天守閣へ至る最短コースです)
・開館時間 9時00分~17時00分(入館は16時30分まで)
(時期により開館時間延長の場合あり)
・料金   天守閣のみ 一般500円、小中学生200円
常盤木門  一般200円、小中学生60円、
天守閣・常盤木門共通券 一般600円、小中学生220円、
・休館日  12月31日~1月1日と12月第2水曜日
・電話   0465-23-1373
難攻不落の城・小田原城公式ホームページ

【常盤木門・SAMURAI館】

天守閣前本丸広場・常盤木門2階展示室
・開館時間 9時00分~17時00分(入館は16時30分まで)
・休館日  12月31日~1月1日
・料金   天守閣を参照

【甲冑着付け体験】

天守閣前本丸広場・常盤木門1階
・衣裳貸出時間 9時30分~16時00分(最終貸出は15時30分まで)
・貸出料金   大人(中学生以上)500円、小人(小学生以下)300円
・休館日    12月31日~1月1日
・電話     080-6887-2154

【小田原城歴史見聞館】

小田原城址公園二の丸広場前
2018年12月現在改装工事のため休館中、2019年4月中旬頃リニューアルオープン予定。

【銅 門】

小田原城址公園内
・門時間    7時00分~21時00分
・夜間照明時間 日没~20時00分、
・2階見学室は土・日・祝日のみ無料公開

【小田原城址公園】

・問い合わせ先 小田原市経済部観光課
・電話     0465-33-1521
小田原市ホームページ

【一般社団法人・小田原市観光協会】

・電話 0465-22-5002
小田原市観光協会ホームページ

【NPO法人・小田原ガイド協会】

・電話 0465-22-8800
小田原ガイド協会ホームページ

【御食事処・本丸茶屋】

天守閣すぐ前。うどんやそばなど北條氏にちなんだメニューが豊富に取り揃えてあります。
・営業時間 9時00分~17時00分(ラストオーダーは16時30分)
・電話   0465-23-8100
小田原市事業協会ホームページ

【こども遊園地】

天守閣すぐ下。
・営業時間 9時00分~16時30分最終改札まで、
・料金   豆汽車、豆自動車80円、自動遊器具30円、
(豆汽車はお客さまの状況により随時運転します。出発時間は決まっていません)
・休園日  12月31日~1月1日、
・電話   0465-23-1373
小田原市ホームページ

【小田原市郷土文化館】

小田原城址公園内。地元・小田原市の自然や歴史、文化に関する博物館です。
・開館時間 9時00分~17時00分
・入館無料
・電話   0465-23-1373
小田原市ホームページ

【小田原市立図書館】

小田原城址公園内、小田原郷土文化館すぐ近く。
・開館時間 9時00分~17時00分
・電話   0465-24-1055
小田原市ホームページ

【おだわら市民交流センター UMECO】

・アクセス 小田原駅東口から徒歩約3分。
・電話   0465-24-6611
おだわら市民交流センターUMECOホームページ

【報徳二宮神社】

小田原城隣接、小田原城南入口すぐ近く。
・アクセス 小田原城天守閣から徒歩約10分。
・電話   0465-22-2250
報徳二宮神社ホームページ

【きんじろうカフェ】

報徳二宮神社内。
・アクセス 小田原城天守閣から徒歩約10分。
・電話   0465-23-3246
きんじろうカフェホームページ

【Cafe小田原柑橘倶楽部】

報徳二宮神社内。
・アクセス 小田原城天守閣から徒歩約10分。
・電話   0465-23-3246
Cafe小田原柑橘倶楽部ホームページ

【石垣山一夜城歴史公園】

・アクセス 小田原城からマイカーで約20分、
小田急線「入生田駅」から徒歩約60分。
(駐車場前には2011年にオープンした「一夜城ヨロイヅカファーム」があります)
・期間限定で土・日・祝日のみ「小田原宿観光回遊バス・うめまる号」が運行されています。
・電話   0465-44-4656
合同会社まち元気小田原ホームページ
小田原市ホームページ
・問い合わせ先 小田原市経済部観光課(0465-33-1521)

【臨済宗大徳寺派・早雲寺】

2019年は北條早雲公が亡くなってから500年となります。
・アクセス 小田原城からマイカーで約15分。
小田急線「箱根湯本駅」から徒歩約15分。
・電話   0460-85-5133
臨済宗大徳寺派・早雲寺ホームページ

Photo by 加藤学 in November 7, 2018