鶴ヶ城

会津の城と言えば鶴ヶ城「悲劇の城」の歴史と3つの見どころ


Writer

鶴ヶ城は若松城とも呼ばれ、福島県会津若松市にある「日本百名城」にも選定されている城です。

鶴ヶ城自体は、1874年(明治7年)に廃城となって取り壊されており、その後1965年(昭和40年)に再建されました。

は~い、ここでいきなり疑問に思いませんか?

「50年ちょっと前に再建された城が「日本百名城」に選ばれるって、どういう事なんでしょう。選ぶ基準がユルいんじゃね?って思っていませんか?」

そもそも「日本百名城」とは、財団法人日本城郭協会が2006年に定めた日本にある名城の一覧であり、その選定基準は次の5つです。

  1. 優れた文化財・史跡
  2. 著名な歴史の舞台
  3. 時代・地域の代表
  4. 各都道府県から1城以上5城以内
  5. 環境保存状況や城郭発達史からの観点

国宝じゃなくても、現存天守じゃなくても、「著名な歴史の舞台」だったりすると選ばれるんですね。

どういった理由で選ばれたかは知りませんが、この鶴ヶ城は幕末における歴史の舞台となりました。

戊辰戦争において、この城は新政府軍の攻撃を受け続けながらも1ヶ月間の籠城の末に開城しました。この戦いにおける白虎隊の悲劇のお話は有名ですね。

では、鶴ヶ城の歴史をサクっとたどっていきましょう。


「鶴ヶ城」は築城の名手が手掛けた城だったから難攻不落の城と言われた

鶴ヶ城の元祖は、葦名直盛が作った「黒川城」でしたが、後に蒲生氏郷によって七層の天守閣をもつ城郭に大きく改築し、城の名を鶴ヶ城と改名しました。

「戦国時代の歴史に詳しい人は、「あれ?蒲生氏郷って近江の人だったよね?」って思ったはずです。」

織田信長の側近だった蒲生氏郷は、豊臣秀吉の命により会津藩主になりました。織田信長に習い、楽市楽座で栄える安土城を見ながら育ったことが、後の城造り、城下町運営に役立ちました。

この蒲生さんは、会津に来る前には松坂にいました。松坂城を作り、城下町を作ったのは蒲生さんでした。この松坂城での経験を生かして、鶴ヶ城を作り、会津の城下町を作りました。

その後イロイロとあった後に保科正之が会津に入城し、後に保科氏は「松平」に改名しますが、明治維新まで松平氏が治めました。

実は、保科正之は二代目将軍・徳川秀忠の庶子にあたります。秀忠は奥さんの嫉妬がとても怖くて実子と認める事が出来なかったため、こっそり信濃の保科正光に預けて養子として育ててもらいました。後に三代将軍・家光により実弟として認められ、大切にされました。

そんな徳川家との恩義も繋がりもある会津藩の、最後の藩主は松平容保でした。この人は、律儀に徳川家に忠誠をつくして、ザックリ言うと会津藩ごとえらい目に遭いました。これが戊辰戦争における会津戦争です。

鶴ヶ城

鶴ヶ城は新政府軍に思いっきり攻められましたが、城自体は壊れていませんでした。

1873年(明治6年)、明治政府による「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」いわゆる廃城令によって、鶴ヶ城は存城処分(つまり陸軍省の財産にする)と決まりました。

しかし、「若松県」の権令(今の県知事のポジション)は「若松城は陸軍省の方針として保存する城と決定したものの、戊辰戦争の時の砲撃で相当痛んでおり、補修するに大変そうだから、むしろ取り壊して陸軍の部隊を設置した方がいいんじゃない?」と政府に建言しました。

そのせいか、翌年には陸軍からの指示により、天守をはじめとする建造物は総て解体されました。ここで、鶴ヶ城は更地になってしまいました。

が、1890年(明治23年)明治政府による城地約29haの払い下げが決定した際に、旧会津藩士の遠藤敬止が城跡を一括して保存するために私財2,500円で払い下げを受け、旧藩主松平家に寄付しました。

「すごい忠義者ですよね。おかげで土地が確保されました。」

その後、土地は会津若松市の所有となり、本丸は1960年(昭和35年)までには現在の形状に復旧され、現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により外観復興再建されました。

1990年(平成2年)には、茶室「麟閣」が本丸の元の場所に移築復元されました。

茶室「麟閣」

鶴ヶ城の茶室は、千利休が豊臣秀吉から切腹を命ぜられた際、千利休の子の命を助けて蒲生氏郷が会津に保護した時に作られたそうです。

鶴ヶ城の見どころ1 まずは天守閣に行こう!

現在の天守閣は、前述のとおり1965年(昭和40年)に再建されたものです。

内部は郷土博物館になっており、会津の歴史と文化が展示されています。

展示物はわかりやすく、なかなか興味深い内容なので、ココで勉強してから飯盛山などの白虎隊の史跡や松平家墓所、会津武家屋敷などを回ると、より面白いと思います。

天守閣の中を下から順に登って行くと、4階の窓から屋根の瓦部分が見えてきます。

天守閣

再建された天守閣の屋根を2011年(平成23年)に45年ぶりに葺き替え、それまでの黒瓦を赤瓦にしました。赤瓦は、保科正之が藩主の時代である1648年(慶安元年)頃に葺き替えられたことが記録されています。

赤瓦にした理由は、表面に釉薬を施して焼いてあるため強度があり、会津の冬の厳しい寒さや凍結にも耐えることができるためでした。

鶴ヶ城の最上階、五層からは会津若松市街地や会津盆地、磐梯山が一望できます。これが爽快なんです。

天守閣からの風景

是非、天守閣からの風景を堪能して下さい。

鶴ヶ城の見どころ2 鶴ヶ城公園に残る石垣は、ほぼ当時のまま

城と言えば石垣。

その石垣の築き方は、時代によっていろいろと違いがあります。

鶴ヶ城の石垣を年代的に見ると、一番古いものは天守閣の石垣で、蒲生氏郷が築いたものです。「野面(のづら)積み」という石の積み方で、自然石を組み合わせて積み上げます。傾斜が緩やかで、裾野が広いのが特徴です。

この石垣は、今から約400年前の1611年(慶長16年)8月21日、会津盆地でマグニチュード6.9、震度6以上と推定される大地震が発生したとき、七層の天守閣は傾きましたが、天守閣の石垣は持ちこたえました。築城スペシャリストの技は、素晴らしいものだったんですね。

ただし、城の内部の石積みは、地震の影響により後に藩主となった加藤氏によって積みなおされました。

なお、表門付近は「切込み接ぎ(きりこみはぎ)積み」で、天守の石積みより少し後の時代の積み方です。積み方の違いで作られた時代が違うのがわかりますね。

天守閣の下

この写真の左側、天守閣の下は野面積みです。丸みのある石が多いですね。

右側の背の低い南走長屋から干飯櫓の下の部分は切り込み接ぎ積みです。四角く成形した石を積んであるのがわかりますね。

鶴ヶ城の見どころ3 茶室「麟閣」は400年以上も密かに大事に保存されたてきた

1591年(天正19年)、茶道千家流の始祖となった千利休は、豊臣秀吉に切腹を命じられました。利休の死によって茶道が途絶えるのを惜しんだ会津藩主蒲生氏郷は、利休の子である少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に願い出ました。

その結果、秀吉の怒りは収まり、少庵が京都に帰って千家を再興することを許しました。その千少庵の孫によって武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興され、今日の茶道の隆盛に至っています。

少庵が、会津にかくまわれている間、氏郷のために作ったと言われているのが「麟閣」です。

麟閣

戊辰戦争で会津藩が敗れて若松城が取り壊される時、城下の茶人であった森川善兵衛は貴重な茶室が失われるのを惜しみ、1872年(明治5年)に麟閣を自宅へ移築しました。以来森川家は120年にわたり、麟閣を保全してきました。

2000年 (平成2年)、麟閣は元の場所に移築され、現在は福島県の重要文化財に指定されています。

少庵

もし、氏郷が少庵を助けなければ、今の千家茶道はなかったかもしれません。

また、森川善兵衛が麟閣を自宅へ移築しなければ、この茶室は城と一緒に壊されていたでしょう。

昔の人の手によって、茶道もこの茶室も守られてきたのですね。

茶室麟閣では、少庵を偲びながらお抹茶もいただけます。一席600円(お菓子付)です。

鶴ヶ城までのアクセス

鶴ヶ城に行くためには、とりあえず会津若松を目指して行きましょう。

自動車でのアクセス

  • [東北自動車道] 浦和I.C から郡山JCT経由 磐越自動車道 会津若松I.Cまで 約3時間20分
  • [東北自動車道] 仙台宮城I.C から郡山JCT経由 磐越自動車道 会津若松I.Cまで 約3時間20分
  • [磐越自動車道] 新潟中央I.C から会津若松I.C まで 約1時間30分

鶴ヶ城の駐車場は3カ所あります。

  • 西出丸駐車場:普200台収容可
  • 東口駐車場:普129台収容可
  • 南口駐車場:普35台収容可

料金は、いづれも1時間200円です。

鶴ヶ城に行くだけなら自動車は便利ですが、城下町を散策しながら造り酒屋さんなどで見学や試飲をするなら、逆に自動車は邪魔になりますので注意してくださいね。

鉄道でのアクセス

東京から行く場合には、東北新幹線を利用する方法と、東武鉄道を利用する方法があります。

  • [東北新幹線] 東京駅 →郡山→(常磐西線)会津若松 約2時間30分
  • [東北新幹線] 仙台駅 →郡山→(常磐西線)会津若松 約1時間40分
  • [東武鉄道特急リバティ]浅草→会津田島→(会津鉄道)会津若松 約4時間20分

郡山から会津若松までは快速もあるので、1時間程度で行けます。

高速バスによるアクセス

東京から会津若松までは、高速バスが平日であれば1日に13便もあります。

約4時間30分と時間は少しかかりますが、運賃は2,500円~4,800円です。

仙台から会津若松までは1日に8便あり、乗車時間は2時間25分、運賃は仙台駅東口から2,900円です。

会津若松市内のアクセス

市内を周遊バスが運行しています。

その名も「ハイカラさん」と「あかべぇ」。

会津若松駅前 始発8:00~最終17:30で、概ね30分間隔での運行なので使いやすいです。

  • 1回乗車:大人 210円(小人 110円)
  • ハイカラさん・あかべぇ専用1日フリー乗車券:大人 600円(小人 300円)

1日フリー券を提示すると、鶴ヶ城と麟閣の入場料が割引になります。

市内散策をする予定であれば、1日フリー券が断然お得で便利です。1日フリー券の購入は、バス車内ではできないので、予め「会津バス駅前案内所」や「若松駅前バスターミナル」などで購入しておきましょう。

鶴ヶ城へは、「鶴ヶ城入口」下車 徒歩5分です。

まちなか周遊バス

鶴ヶ城の施設情報

◆入場料

  • 茶室麟閣共通券 : 510円
  • 大人 : 410円
  • 小人 : 150円
  • 茶室麟閣のみ 大人 : 200円 (小中学生無料)

◆開城時間

8:30~17:00(入城締め切りは16:30)

◆休館日

無休

まとめ

会津の城、鶴ヶ城の歴史と見どころについて書いてきました。最後にポイントをまとめておきましょう。

  1. 鶴ヶ城は、会津若松市にある「日本百名城」のひとつ。
  2. 鶴ヶ城は元々は築城の名手によって改修されたが、後に取り壊された跡地を元藩士が私財で払い下げを受け、それを元藩主に寄付引き継ぎ、後に寄付された会津若松市が再建した城。
  3. 鶴ヶ城の見どころの一つめは天守閣。内部の郷土博物館と最上階からの眺めは圧巻。
  4. 鶴ヶ城の二つ目の見どころは、石垣。時代ごとに違う積み方を堪能しよう。
  5. 鶴ヶ城の三つめの見どころは茶室「麟閣」。会津藩は千利休と意外なつながりがあった。

さて、鶴ヶ城を見学するのに一番良い季節は、桜の頃が一番キレイなのでおすすめです。桜の季節は朝晩少し寒いし、ここは盆地なので、必ず暖かくしてお出かけください。

鶴ヶ城

桜の名所でもある鶴ヶ城は、どこから見ても美しいです。日本さくら名所100選にも選ばれています。

また、冬の「会津絵ろうそくまつり」も美しいです。

最近はプロジェクションマッピングを組み合わせて、冬の夜を鮮やかに彩っています。

このお祭りで利用されるろうそくは、約10,000本を超えるそうです。

会津絵ろうそくまつり

会津には「絵ろうそく」と言われるろうそくが作られています。

会津のろうそくは、前述の保科正之が地場産業として発達させた歴史のあるものです。

江戸時代には絵ろうそくの製造は一大産業となり、江戸時代には将軍家や宮廷への献上品として利用されたそうです。

会津の絵ろうそくの図柄に花の絵が多い理由は、雪国の会津は冬の間に花を飾れないためなのだそうです。

絵ろうそく

鶴ヶ城に行ときに、宿泊するなら東山温泉が近くて便利です。

会津若松駅の観光案内所では、東山温泉の各旅館まで宿泊用の大きな荷物を無料でホテルまで届けてくれるサービスがあります。

「これを利用すれば、駅から小さいバックひとつで身軽に遊びに出かけられますよ。これ、オススメです。(ただし、逆に東山温泉から駅までは有料で、1つ500円です。)」

さて、出かけるなら桜の頃に鶴ヶ城で花見をして、そのあと東山温泉でのんびり寛ぐのはどうでしょうか。

絵ろうそくまつりの期間は、東山温泉のホテルでは無料シャトルバスなどを運行しています。ちょっと寒いけど、これを利用しない手はないですよね。

みなさんも、素敵な旅を企画してみてください。

関連記事


ホテル予約最大16%割引
Booking.comカード

年会費無料なのに、これ1枚で世界中のホテルで優待が受けられる!