広島平和記念公園で私が考えた世界平和について

Hiroshima birdview 2006
Photo by maiu maiu - Hiroshima birdview 2006

皆さんは広島市にある平和記念公園を知っていますか?

この写真の中央の、元安川の中州に広がる緑と中央の建物を中心とした一帯が、広島平和記念公園です。そこは広島市の中心部で、太平洋戦争末期の1945年8月6日、原子爆弾が投下された爆心地からとても近い場所です。

原爆投下から9年後の1954年に建設された公園では、毎年8月6日に首相や閣僚も参列する平和記念式典が行われています。

皆さんもテレビ等でご覧になったことがあるのではないでしょうか。

Hiroshima after the bomb
Photo by Maarten Heerlien – Hiroshima after the bomb

「これは一体…」

突然の衝撃的な写真に驚かれた方も多いでしょうね。

これは前掲の写真の反対方向から、被爆直後の広島平和記念公園付近を撮影したものです。手前にあるのが原爆ドーム、その向こう側に見える焼野原が、現在記念公園がある場所です。

被爆当時、この周辺は市の中心街として、商店や飲食店、旅館や住宅などが立ち並び、大勢の人が行き交うにぎやかな場所でした。

それがあの日、一瞬にして全てが無くなってしまったのです。

そして今、この場所は犠牲になられた方々の鎮魂と、「負の遺産」から「平和」を考える場所として記念公園になっているのです。

それでは、平和記念公園を訪れた時、ぜひ見て欲しい場所をご紹介しますね。

世界遺産の原爆ドームで戦争の悲惨さを知る

Atomic Bomb Dome
Photo by Ryosuke Yagi – Atomic Bomb Dome

市内中央、中区の相生橋付近まで来ると、川沿いに丸屋根鉄骨むき出しの建物が見えます。これが通称「原爆ドーム」と呼ばれる広島平和記念碑(被爆建造物)です。

原爆ドームは、元々広島県物産陳列館として相生橋近くに建てられた洋館で、被爆当時は産業奨励館として、県下の物産品を紹介する展示会や美術展を開催する場所でした。

1945年8月6日、原爆はこの建物から160メートルという至近距離に投下され、建物は一瞬にして全焼。鉄骨やレンガの一部が露出した現在の状態が残りました。

この無残な姿を残すのはどうかという意見もありましたが、楮山(かじやま)ヒロ子さんという被爆者の日記に、「原爆ドームが原爆の恐ろしさをいつまでも後世に訴えかけてくれるだろう」と記された言葉が多くの人の心を打ち、建物の保存活動が開始。

1996年には、ユネスコの世界文化遺産登録をされるまでに至りました。

どんなモニュメントよりも雄弁に、この建物は平和へのメッセージを伝えていますね。

「原爆の子の像」からのメッセージ

原爆の子の像
Photo by tosimisi – 原爆の子の像

広島平和記念公園内にはたくさんのモニュメントがありますが、ひときわ存在感がある像の一つが、女の子が高く折り鶴を掲げている「原爆の子の像」です。

このモデルとなったのは広島市に住んでいた佐々木禎子(さだこ)さんです。

彼女は2歳の時に自宅で被爆。

将来は体育の先生になりたい運動神経抜群の女の子でした。

ところが12歳の時に突然白血病を発症して入院。闘病中にお見舞いの折鶴をもらった事から、退院の願いを込めて彼女自身も鶴を折り始めました。

当時は千代紙や色紙が貴重だったので、お菓子の包装紙などを病院中から集めて折っていたそうです。

しかしその思いは叶わず、彼女は8か月の闘病の末12歳で亡くなりました。

後には1000羽以上の折鶴が残されていたそうです。

この話を聞いた彼女の同級生や先生達が中心となり、原爆症のために亡くなった子供の為のモニュメント建設の募金活動を開始しました。

やがてこの活動は全国に広がり、たくさんの賛同が寄せられて、1958年5月5日、この原爆の子の像が完成しました。

千羽鶴
Photo by Cherrie Mio Rhodes

像の周囲は、今も日本中から送られてくる色とりどりの千羽鶴が飾られています。

その後、彼女の話は教科書に取り上げられ、映画にもなりました。皆さんもどこかで読まれたことがあるかもしれません。

始めは禎子さんの同級生から始まったこの運動、平和というのは、まず自分の一番近くにいる人を思いやることだと気付かされますね。

世界中の著名人も訪れた広島平和記念館で学ぶ

平和記念館
Photo by tosimisi – 平和記念館

ここは平和公園の中にある広島平和記念館です。

別名「原爆資料館」としても有名で、原子爆弾によって被爆した様々な資料が収集・展示されています。

これらの資料は、戦後、学術機関や市民によって集めたり提供されたりしたものです。

当初は収集した資料を、市の公民館などで公開展示していましたが、原爆被害の恐ろしさを広く世界へ知らせるため、現在の建物が建設されました。

Frozen in time
Photo by Maarten Heerlien – Frozen in time

これは、あの日の一瞬を指したまま、止まってしまった腕時計です。

他は焼けて黒くなっているのに、針や文字盤がちゃんと残っている事に目を奪われます。

中には衝撃で目を覆いたくなるような資料もありますが、これが全て事実である事をしっかり受け止め、その上で平和について考えたい場所です。

ここは毎日世界中から沢山の来館者が訪れています。アメリカ前大統領のオバマ氏が、在任中に歴史的な訪問を行った事は、皆さんの記憶にも新しいでしょう。

Web Site:http://www.hpmmuseum.jp/

まとめ

P1240897
Photo by Cheng-en Cheng – P1240897

私が数年前に平和記念公園に立ち寄ったのは、気持ちの良い初夏の日でした。

水盤で小鳥が水浴びをし、猫が原爆ドーム内の日陰でのんびり寝ていました。

お母さんに連れられてきた小さな子供たちが無邪気に木陰を走り回るのを見て「これが平和なのだな」と実感したのを覚えています。

何でもない日常が続く事が一番大事、と感じる事。これが私たちにできる「世界平和」への第一歩だと思います。

戦争によって原爆が投下された過去を知ることは辛い部分もありますが、ぜひ自分の目で見て感じて欲しいです。

広島平和記念公園へのアクセス

広島市内には、通称「広電」(ひろでん)と呼ばれる市電が走っています。市内を回るには、これが便利&エコなのでぜひお勧めです。

この「広電」も原爆投下によって被災しました。

しかし、翌日には一部区間での運行を再開。二日後には全線での運行を再開したという歴史があります。

広島県人の不屈の思いを見るようですね。

DSC_5828
Photo by Cheng-en Cheng – DSC_5828

市電から景色を眺めながら市内を進むと、広島市が川の街だという事にも気づきます。

元々、太田川という大きな川が何本かの支流を作って広島湾へ流れ込んでいるので、市内を通る水路も満々と水をたたえて豊かです。

この川を利用して記念公園近くの船着場から、世界遺産の宮島へ行くフェリーが発着しています。片道45分くらいなのでお時間がある方は是非試してみてください。

また一味違った景色が眺められますよ。

Web Page : http://www.aqua-net-h.co.jp/heritage/terminal.html