国際観光都市・京都には、京都駅を起点とする中心部に、多くの寺社仏閣や歴史名所旧跡が集中的に存在しています。時間と体力に余裕があれば歩いて巡ることも出来ますが、京都を代表するような「これぞ京都」と表現されるような名所は、むしろ中心部から少し離れた郊外部に多く、これもまた京都の特徴と言えるでしょう。
その京都の街中からぐるっと周囲を見渡してみると、古都の街並みの向こうには「紫色」と呼ばれる山々が広がっていますが、京都駅から真北の方角に望む山々の麓には、誰もがご存知の「京都一の名所」があります。
日本の人々はもちろん世界の人々もその光り輝く美しさに魅了される、我が国を代表するお寺、『金閣寺』です。京都観光というより、日本を観光する海外のみなさんが、必ず一度はその輝きを目に焼き付けてみたいと思う黄金の寺院、もはや日本の代表的な風景と言っていいでしょう。
私は神奈川県箱根町在住の旅好き・加藤学です。小学校の修学旅行で金閣寺を目の当たりにしてから36年。昨年末、古都の緑にひときわ鮮やかに輝くその姿に、半世紀近い時を超えて再会することが出来ました。
初冬の晴天の中、最寄りの小田原駅から新幹線ひかり号で約2時間。ほぼ定刻どおりに、実に36年ぶりに降り立った京都の街は、年末にも関わらずどこも国内外の観光客や修学旅行生で大賑わいでした。
改めて京都の人気の高さに感心させられながら、バスで平安神宮へ、その後は清水寺から三十三間堂そして京都駅まで徒歩で巡り、伏見にて一泊。翌日は午前中に伏見稲荷大社を参拝して再び京都駅へ…。
Contents
バスは超満員、さすがは金閣寺


午後の京都駅前バスターミナルは相変わらずどこの乗り場も長蛇の列。特に金閣寺へ向かう「101系統バス」の乗り場は乗車競争率No,1です。
超満員のバスに揺られること約40分弱、ようやく「金閣寺道(きんかくじみち)」のバス停に降り立ちました。バス停から少し南へ進むとそこは「鞍馬口通り(くらまぐちどおり)」。あとは案内表示に従って進み、約2分で信号を渡ると、「鹿苑寺 通稱 金閣寺」の標示に導かれ、いよいよ境内へ入ります。

やがて拝観受付所。拝観手続きを行うと、案内パンフレットと共に、写真の「御札」を授かります。
この御札が拝観券代わりとなります。金閣寺を訪れた貴重な記念となりますので、大切に持ち帰りましょう。
ちなみに京都市左京区にある「銀閣寺」でも、拝観の際には同様の御札を授けられます。
誰もが一度は拝みたい!! これが金閣寺!!!
36年の時を経て、金閣寺の姿が目の前にありました。

そうです!! 京都を訪れる人々はこの景色を楽しみにしているのです!!
私が初めて金閣寺を訪れたのは今から36年前の1981(昭和56)年。小学校6年生の修学旅行の時でした。あの時、同じクラスの女の子たちが、この景色を一目見た瞬間、思わず・・・
「わぁーっ!! きれーい!!!」
あの歓声が、48歳となった私の耳によみがえってきました。…36年が経った今も、感激は変わりませんね。
当時はカメラを持っていなかったため写真撮影が出来ませんでした。だから今回はマイカメラで思う存分写真撮影。予定よりオーバーの15分間もこの場所に滞在してしまいました。
金閣寺は光り輝く豪華別荘だった
金閣寺(きんかくじ)は、正式名称を「臨済宗相国寺派・鹿苑寺(りんざいしゅうしょうこくじは・ろくおんじ)」と呼び、あのまばゆいばかりの黄金に輝く建物は、舎利殿(しゃりでん)と名付けられています。
元は鎌倉時代の公家の権力者であった西園寺公経(さいおんじきんつね)が建てたお寺と別荘だったのですが、室町時代となった1397(応永4)年に、室町幕府3代将軍である『足利義満(あしかがよしみつ)』によって、大きく豪華に建て替えられたのです。

金色に輝く金閣寺舎利殿は3層3階建てとなっており、それぞれの階で建築様式が異なっています。
- 1階は法水院(ほうすいいん)と呼ばれる広間で、公家・貴族社会の建築様式である「寝殿造り」。
- 2階は潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれる広間で、鎌倉時代の武家社会の建築様式である「武家造り」。
- 3階は究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれる広間で、中国から伝わった仏教様式である「禅宗寝殿造り」。
そして「柿葺き(こけらぶき)」と呼ばれる屋根の頭頂部には、中国で『権威や永遠の象徴』として崇められる『鳳凰(ほうおう)』という鳥の彫刻が、誇らしげに輝きを放っています。
金閣寺の建つこの地は「北山」と呼ばれており、足利義満はここを「北山山荘」としました。この金閣寺の様式美に代表される当時の文化を『北山文化』と呼んでいます。日本史の授業を思い出しますね。
足利義満は天皇以上の「日本国王」
公家・貴族社会を表現した1階。武家社会を表現した2階。中国伝来仏教を表現した3階…。
3層に重ねられた建築様式の金閣寺。しかしその建築様式には、足利義満のねらいが表現されているのです。
金閣寺といえば何と言っても、建物いっぱいに貼りめぐらされた『金箔(きんぱく)』が代表的ですが、実は1階の部分にだけは金箔が貼られていません。金箔が貼られているのは2階より上なのです。
そのせいか金閣寺は、ぱっと見た感じでは2階建てにも見えますね。

公家社会に対立的な考えを持っていた足利義満…つまり、自身が好ましく思わなかった公家社会の部分は簡素に、自身が属していた武家社会の部分は豪華に、さらに言えば自身が崇拝していた中国伝来仏教(禅宗)の部分は崇高に…という位置付けをしていたのです。
また足利義満は、中国…当時の「明(みん)」との間で『日明貿易』を行っていました。足利義満は明の皇帝から『日本国王』と呼ばれていたのです。
「公家の上に豪華な武家があり、その上に自身と交流深い中国皇帝がある」
金閣寺は、自身を「日本国王」と誇った足利義満の思想の証しなのです。
金閣寺の風景を引き立てる鏡湖池
黄金の輝きをいっぱいに放つ金閣寺。その姿はすぐ目の前にある池の水面に、まるで鏡のように映し出されています。この池は鏡湖池(きょうこち)と呼ばれ、池の中にはいくつもの島が点在し、室町時代に足利義満に仕えた大名の名が刻まれた岩が、現在も残されています。

金閣寺を眺めるのは人間だけではありません。この鏡湖池周辺には多くの花々、野鳥などの生き物たちも集まって来ます。12月にも関わらず、季節外れのノハナショウブが咲いていました。

体長1m近くになる大型の鳥です。

オスは頭部が美しい緑色をしています。
「これから初夏になればさらに多くの花や生物が見られます。金閣寺をバックに観察してみるのも楽しいでしょう。」
金閣寺の境内をゆっくり歩こう
目の覚めるような黄金に輝く豪華絢爛な「舎利殿」の印象が強い金閣寺ですが、広大な境内には他にも見所があります。境内につづく拝観歩道は30分以内で全部歩くことが出来ますが、多少アップダウンもあるので、あせらずゆっくりと金閣寺の空気を楽しみましょう。
(1) 陸舟の松
『陸舟の松(りくしゅうのまつ)』と呼ばれるこの松の木は、金閣寺の建つ鏡湖池に沿って進んだ右側にある「書院」の庭に植えられており、「舟」のような形をしていることから、この名が付いたとされています。
元々は将軍・足利義満が盆栽として育て始めたものなので、その樹齢は実に600年以上。

「よくぞここまで大切に育てられたな…」
…足利義満公もきっとお喜びでしょうね。
京都市左京区の大原宝泉院にある「五葉の松」、京都市西京区の善峯寺(よしみねでら)にある「遊龍の松(ゆうりゅうのまつ)」、そしてここ金閣寺の「陸舟の松」は、『京都三大松』として大切に保護されており、京都市の天然記念物にも指定されています。大変美しく貴重な松の木ですので、ぜひお見逃しなく!!
(2) 銀河泉と巖下水

金閣寺舎利殿のちょうど裏手、舎利殿の華やかさが嘘のように静かな林の中には、足利義満が茶会を開く際の「お茶の水」に使用したと伝えられる『銀河泉(ぎんがせん)』という泉があり、今でも水が湧き出しています。

またすぐ横には、やはり足利義満が手を洗う際に使用したと伝えられる『巖下水(がんかすい)』もあります。
ここに住んだ先人を忘れないで
(3) 安民沢と白蛇塚

銀河泉と巖下水の場所から間もなく、左側に安民沢(あんみんたく)と呼ばれる池が現れ、中央の島には『白蛇の塚』と呼ばれる五輪の塔が建っています。この「白い蛇」は、人々に智慧を与え、幸福な家庭運をもたらすとされる『弁才天』の使いと呼ばれ、金閣寺が建つ前にここに住んだ西園寺家の守り神とされているのです。
昔は金閣寺を見ながらお茶を…
(4) 夕佳亭と金閣寺の眺め

安民沢の場所から坂道を上りつめた小高い丘の上には、夕佳亭(せっかてい)と呼ばれる木造の建物があります。この夕佳亭は、江戸時代初期に茶道家の金森宗和(かなもりそうわ)によって建てられた、日本の伝統建築様式の一つ『数寄屋造り』の茶室です。ここから夕陽に輝く金閣寺の眺めが素晴らしかったことから、『夕方に佳(よ)い』ので、この名が付けられたとされています。

夕佳亭から望む金閣寺舎利殿、この景色を見ながらお茶を頂きたいですね…。
金閣寺のフィナーレはお不動様
(5) 金閣寺不動堂
夕佳亭を後に「北門」を出ると、拝観歩道の終点とも呼べる「金閣寺不動堂」に到着します。
かの有名なお坊様、弘法大師(空海)が寄進した石造の不動明王像が御本尊のため『石不動明王』とも呼ばれています。その歴史は大変古く、創建は1225(嘉禄元)年頃なので、金閣寺が豪華に建て替えられるまだずっと前のこと、この地に以前住んでいた西園寺家の人々も、厚い信仰心を寄せていたようです。
室町時代に約11年間にわたって続いた「応仁の乱」で焼失してしまいましたが、戦国時代に豊臣秀吉の家臣の一人、宇喜多秀家(うきたひでいえ)によって再建されました。

この金閣寺境内の中では最も古い建造物とされている不動堂。石造不動明王像と共に、鎌倉時代に造られた国の重要文化財に指定される不動明王立像が安置されています。
上半身、特に眼の病気平癒のご利益があるとされており、日々多くの人々が訪れています。
「みなさま、金閣寺の拝観、大変お疲れ様でした。でも、このまま帰るのはまだ早いですよ!!
お帰りの前に、金閣寺ならではのスイーツを頂いていきましょう。」
その名は「金閣そふと」!!!
実は金閣寺は『舌で楽しむ』ものでもあるのです。
恐らく全国でもここでしか味わえないであろう「純金箔で包んだソフトクリーム」、名付けて…
『金閣そふと』のお店があります!!!
これも金閣寺ならではの名物スイーツですね。

写真は、メニューの一つです。
お店の名前も商品名と同じ。金閣寺へ向かう「鞍馬口通り」沿いにあります。
高級で安全な「食用金箔」を丸々1枚使用したとっても贅沢なソフトクリームなので、1個880円とやや値段は張りますが、甘さが舌にとろけてゴージャスな気分になれること間違いなしですよ!!
どれくらい「金ピカ」なのか、ぜひ確かめてみてくださいね!!
金閣寺 旅のまとめ
室町幕府3代将軍・足利義満公が大きく豪華に建て替えてから600年余り、先代の西園寺家が住んでいた時代を含めると、金閣寺はもう800年以上もこの場所に存在しています。
その長い長い歴史の中では、京都のほとんどが焼け野原となってしまった応仁の乱や、度重なる落雷、火災で何度も焼失しました。太平洋戦争後の1950(昭和25)年にも火災によって焼失し、日本中の人々が深い悲しみに包まれたのです。
でも、何度焼かれても何度焼かれても、人々の強い願いを受けてその都度金閣寺はよみがえり、私たちの前にあの輝かしい姿を力強く誇らしげに見せているのです。

金閣寺は将軍・足利義満公の「権力の象徴」でした。でも今は、何度倒れても立ち上がる日本人の「復興の象徴」と言えるのではないでしょうか。それもまた、多くの日本人を惹き付ける金閣寺の魅力なのでしょう。
京都に住んでいる人でも、京都から遠く離れた場所に住んでいる人でも、一度でも金閣寺の前に立てば、その輝きはきっと永遠の輝きと想い出になるはずです。
今回36年ぶりに訪れた金閣寺。1994(平成6)年に『世界文化遺産』の栄誉を得たその輝きは、あの時と同じ、若い女の子たちを感動させる「永遠の輝き」でした。
インフォメーション
金閣寺へのアクセス
- JR京都駅前バスターミナル「B2乗り場」から京都市バス「101系統、二条城・北野天満宮・金閣寺行」乗車。約40分(230円)、数えて13番目の「金閣寺道」バス停下車。
- JR京都駅前バスターミナル「B3乗り場」から京都市バス「205系統、金閣寺・北大路バスターミナル行」乗車。約40分(230円)、数えて21番目の「金閣寺道」バス停下車。
バス停から『鞍馬口通り』を約430m、途中信号を渡り金閣寺境内まで徒歩約5分。(但し京都市内は交通渋滞が激しいため、余分に時間がかかることは心しておきましょう)
金閣寺の拝観料
大人・高校生…400円 小・中学生…300円 (団体割引はありませんが、30名以上の場合は団体としてお入りください)
金閣寺の拝観時間
9時00分~17時00分 (変更の場合もありますので事前にご確認ください。)
金閣寺ホームページ
http://www.shokoku-ji.jp/k_access.html

旅行大好きなアラフィフ男子。生活拠点は国際観光地として有名な神奈川県箱根町、訪れる人々から道や名所について尋ねられる事も珍しくありません。観光名所はもちろん、その地の自然や地理、歴史などの話も含めて、皆様に楽しく伝えられればと思います。